玉造周辺で真田幸村にゆかりのある三光神社と心眼寺をご紹介しました。今回は玉造駅から三光神社や心眼寺がある真田山周辺を順に歩いてみました。
真田丸がこの周辺で築かれたという名残や、玉造周辺の真田幸村(信繁)への情熱も見ることができます。
追記:最近の調査で三光神社付近は真田丸ではなかったことがわかりました。心眼寺より東側は真田丸の横にあたることをご了承ください。
玉造駅から真田山へ
玉造駅下車すぐに「幸村ロード」があります。大阪の陣400年イベントで盛り上がっており、大河ドラマ「真田丸」発表により、さらに拍車がかかる勢いになりそうです。
この幸村ロードを歩いて、三光神社まで向かいます。
幸村ロードは道中、真田十勇士のキャラクターが登場、つい見てしまいます。根津甚八。
真田十勇士・猿飛佐助。キャラがユルくていいですね。
ボードに”2016年大河ドラマ・真田幸村「真田丸」に!!”とあります。真田幸村かりんとうなど。
これが「真田幸村かりんとう」です。おみやげに。
真田十勇士の豆乳ココアとりゅふ、黒糖とりゅふ、きなことりゅふ。他、Tシャツもありました。
幸村ロードは「玉造日之出通商店街」に繋がっています。
左折して商店街を歩くと、すぐに右折する小道があります。丁度、交番が見えています。
交番を南に行くと、大阪信用金庫玉造支店があります。ここにも真田幸村のスーパー定期のポスターが。どこにいっても幸村一色です。この次の道を右折すると三光神社が見えてきます。
三光神社については大河ドラマ「真田丸」を歩く① ~真田幸村と三光神社~で詳しく書いているのであわせて読んでみて下さい。
三光神社付近、真田山周辺を歩く
三光神社→宰相山公園→真田山小学校→興徳寺→心眼寺→宰相山西公園のルートで歩きました。真田山という山であることが高低差(段差)からわかりますよ。
三光神社付近は真田丸ではなかったことが、最近の調査でわかりました。丁度歩いてきた場所は真田丸があった東側に位置するので、三光神社の抜け穴はもしかしたらすぐとなりにあった真田丸の抜け穴かもしれないですね。
三光神社や宰相山公園は、山になっています。写真からも道より上にあるのがわかります。宰相山公園があるのですが全く見えません。
三光神社・宰相山公園周辺を歩くと、はっきりと高低差がわかりますね。当時は真田山周辺だったのがよくわかる場所です。
この山の一部に真田山小学校があります。高低差がかなりあります。
大阪市立真田山小学校の表札。カワイイ文字です。
真田山小学校を右折すると、地面が赤色になった明星高校のスクールゾーンになります。ここは興徳寺です。巨大な准低観音像が目印。
写真の興徳寺の門から、真田山の木が見えます。興徳寺を下ると心眼寺に着きます。
この周辺については大河ドラマ「真田丸」を歩く② ~真田幸村出丸城跡・心眼寺~をあわせて読んでみて下さい。
明星学園より西側が真田丸だった!
▲最近の調査結果、真田丸だったことがわかった大阪明星学園(明星高校)。心眼寺からの眺め。
真田幸村ゆかりの真田丸周辺を歩いてきました。玉造から10~15分ほど歩くだけで、ちょっと大阪とは違うような空間に出会えます。
今歩いてきた道は真田丸東側に位置します。心眼寺や興徳寺から西側を見ると、明星高校があります(上の写真参照)。そこが真田丸があった場所だと最近のボーリング検査や新資料などで明らかになっています。ブラタモリでも歩くようですね。
真田山は広範囲の山で、そこに真田丸が築かれたと思うと考え深いものがあります。一度、この周辺を歩いてみて下さい。当時の地形、段差、高低差がはっきりと残っているので、イメージすることができますよ。
玉造稲荷神社は豊臣秀頼像も近くにあるのであわせて見に行ってみて下さい▼
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