2016年度の大河ドラマ「真田丸」は毎週欠かさず見ています。「新選組!」も大好きで三谷幸喜さん脚本は本当に面白いですね。あっという間に45分経ってしまいます。
真田丸とは、真田幸村(信繁)が「大坂冬の陣」で築いた大坂城の出城の名前です。ドラマの舞台となる大阪市内の真田丸周辺を歩いてみました。
今回は第1弾「三光神社」をご紹介します。
(追記:最近の調査で三光神社は真田丸ではなかったようですが、そのまま掲載しています。)
三光神社と大阪冬の陣
- 三光神社
- 住所:大阪市天王寺区玉造本町14-90
- 電話番号:06-6761-0372
三光神社はJR玉造駅か地下鉄長堀鶴見緑地線・玉造駅から徒歩5分ほどで着きます。
三光神社に着きました。早速、階段をのぼってみましょう。
階段を上がると目の前に真田幸村(信繁)公像が入ってきます。
真田幸村公像、正面から。
真田幸村公像と真田石。
真田幸村像の裏側には、幸村の大阪冬の陣・夏の陣作成指導に関する説明があります。
真田幸村公像の隣には、「史蹟・真田の抜穴跡」碑とその抜穴がありました。
「史蹟・真田の抜穴跡」碑
真田幸村が作ったという抜穴です。この抜穴と大阪城が繋がっていたという伝説があります。扉の中央に家紋「六文銭」が。
万城目学氏の小説「プリンセストヨトミ」で出てきた抜穴は、ここから連想されて作られています。
最近の調査によると、真田丸はこの三光神社の西側にある大阪明星学園に位置していたという結果が出てきます。ブラタモリでも放送されそうです。
この新説から考えると、この抜け穴はもしかしたら、隣にあった真田丸からの抜け穴だと考えるとあり得えそうな気がします。場所が隣ですからね。
大阪城からだとかなりの距離があるので、それは伝説だなと思いますが、すぐ横に真田丸からの抜け穴だとすると、あながちそうなのかなと感じさせられます。
真田幸村・大坂冬の陣を再現。鉄砲が隙間からのぞいています。
三光神社内を歩く
階段を上がると三光神社に着きました。小田周吉と書かれています。
三光神社。
真田幸村の赤い鎧兜が展示されていました。中央に六文銭。
三光神社おみくじ・百円也。
三光神社は宰相山公園とつながっています。こちらの西側には「真田山陸軍墓地」があります。日清・日露戦争や明治10年の西南戦争時代のお墓もあります。
太陽の下に来たにも関わらず、この場所だけは重く感じる場所です。
三光神社に戻ります。右側(北側)にも入口がありました。こちらは公園があります。
三光神社の御祭神が書かれています。天照大神や仁徳天皇など。
北側には比較的大きな公園「宰相山西公園」がありました。
最後に
勝手に真田丸企画第1弾「三光神社」をご紹介しました。「幕末散歩」のようになってますが…。真田幸村(信繁)は司馬遼太郎の「城塞」を読んでからファンです。
真田幸村と大阪の陣が大河ドラマに取り上げられて楽しく見ています。新説では三光神社の西側が真田丸だったそうですが、すぐ横なので高低差(段差)ははっきりとわかりますよ。一部として考えればよいのではと思います。
第2弾、第3弾もあわせて読んでみてください▼
第2弾:「大河ドラマ「真田丸」を歩く② ~真田幸村出丸城跡・心眼寺~」
第3弾:「大河ドラマ「真田丸」を歩く③ ~真田幸村・玉造・真田山~」
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