大阪市内の玉造稲荷神社に初詣に行ってきました。
玉造稲荷神社は何度か参拝したことはありますが、ゆっくりと見たことは初めて。
豊臣秀頼公像やお伊勢参りスタート地点など、色々と盛り沢山な神社ですよ。
そんな玉造稲荷神社を詳しくご紹介します。
玉造稲荷神社アクセス
電車の場合
- JR環状線・大阪メトロ中央線・長堀鶴見緑地線「森ノ宮駅」より徒歩10〜12分
- JR環状線・大阪メトロ長堀鶴見緑地線「玉造駅」より徒歩10〜12分
最寄駅:JR玉造駅・JR森ノ宮駅・地下鉄長堀鶴見緑地線・森ノ宮駅から徒歩10~12分。
電車では、森ノ宮駅か玉造駅の丁度中間に位置します。
車の場合(駐車場)
玉造小学校と城星学園の間の通りから車が入ることが出来ます。
そこに玉造稲荷神社の駐車場があります。丁度横から入る形になります。
玉造稲荷神社の入口付近は、参道の面影あり
玉造稲荷神社はゆるやかな坂の上にあります。この周辺は上町台地の一部です。入口はかなり細くなっています。
入口を振り向くと一直線になっていますね。これは参道の面影でしょうか。
白光大神と大木が道路の中心にありました。玉造稲荷神社の昔をイメージできる場所の一つですね。
手前が白光大神で、遠くに玉造稲荷神社が見えます。この周辺は木がたくさん生い茂っていたのでは?歴史を感じさせてくれます。
では、本編である玉造稲荷神社を参拝してきます。
玉造稲荷神社は歴史が盛りだくさんの場所
入口には「玉作岡」と書かれています。
玉作岡とは
この周辺は古代に「玉作岡」として玉作部に所属する曲玉(勾玉)作りの集団居住地でした。大阪の中でも最も由緒ある場所だったそうです。
この高台に仁徳天皇は高津宮を営み、日本初の都城を作ります。
その後、孝徳天皇の長柄豊碕宮、天武天皇から聖武天皇にいたる難波宮がこれに続きました。その遺跡や歴史が現在も残っています。
昔の玉造稲荷神社。そうとう大きな神社ですね。階段がつづき舞台のようになっています。まるで京都の清水寺のようだ!
近松門左衛門が「曽根崎心中」や「卯月の紅葉」などに玉造稲荷神社のことを書かれています。元禄時代、玉造稲荷神社に観音堂があり大坂三十三所観音の第十番札所だったそうです。
玉造稲荷神社は豊津社とも呼ばれていました。
遅ればせながら初詣のお参りをします。
お伊勢参りのスタート地点
江戸時代一大ブームとなった「お伊勢参り」(伊勢神宮までお参りをする旅)は、なんとこの玉造稲荷神社がスタート地点でした。
「伊勢参宮本街道の旅」「伊勢迄歩講起点」の碑があります。
毎年年末に「お伊勢参り」をスタートするニュースがあり、玉造稲荷神社の映像が少しだけ出てきますよ。
お伊勢参り(伊勢参宮本街道)のルートが書かれた地図も載っています。また歴史の散歩道の半日モデルコースもありますよ。
参考:浪花講・玉造~伊勢 江戸時代に流行したお伊勢参りの旅
是れより神宮(伊勢神宮)まで百七十キロ(170km)。
今は年末の12月28日に玉造神社を出発して、1月1日に伊勢神宮に到着しています。
社務所で「伊勢参宮本街道行程図」や「伊勢参宮札(身体健固お守り)」が売られています。
このお守りはなんと伊勢神宮式年遷宮ご造営用材残材で出来ています。スゴイお守りだ!
その他、縁結びや子宝のお守りもありました。
豊臣秀頼公像
玉造稲荷神社内に豊臣秀頼公像があります(中村晋也氏作)。隣は難波・玉造資料館。
銅像をつくられた中村晋也氏は大阪城内の豊国神社にも豊臣秀吉像を作られています。豊臣親子2代にわたる銅像をつくられているわけですね。
豊臣秀吉公像については下の記事を読んでみてください。
豊臣秀頼公像。横から撮影。大阪の陣400年を記念して色々と盛り上がっています。
秀頼公 胎衣塚大明神
豊臣秀頼公と淀殿を結ぶ胎盤、卵膜などが鎮まっています。玉造稲荷神社は豊臣時代、大坂城三ノ丸に位置していました。
豊臣秀頼公奉納鳥居
「慶長八年(1603年)三月、豊臣秀頼公奉納鳥居」。第2次世界大戦で一部真っ黒になっている箇所があります。
鳥居が半分しかないのは「阪神淡路大震災」で折れてしまったからです。埋まっているわけではありません。鳥居の後ろに柱が残っているので実際行ってみて確認してみてください。すごいインパクトです。
徳川・大坂城鎮守神時代の鳥居「摂津名所図解」より。入口に鳥居があるのがわかりますね。面白いなぁ。
古代から続いた玉造稲荷神社(豊津社)を豊臣秀頼が復興させました。この時期秀頼は色々な神社仏閣を再建しています。
確か徳川家康が再建を指示したんですよね。豊臣家の財産を使わせるのが狙いだったと司馬遼太郎の「城塞」に書かれたのを記憶しています。
千利休居士顕彰碑
三ノ丸があった豊臣時代、この周辺に千利休の屋敷がありました。その顕彰碑があります。この一帯は清水谷と呼ばれ玉造清水呼ばれる良水があったそうです。
大河ドラマで登場する茶室の一シーンもこの周辺だったようですね。
参考:利休井(玉造神社)
難波・玉造資料館
豊臣時代があったと思ったら、次は古代。玉造資料館が隣にあります。なんて盛りだくさんなんだ!
「難波玉造資料館」碑。説明文は上で紹介した「玉作岡」と同じでした。
小野小町「新勅撰集」歌碑
小野小町「新勅撰集」内に玉造(玉つくり)という文字が登場しています。上町台地の東側は海水が浸入する江湾地帯だったそうです。
「港入り玉つくり江にこぐ舟の音こそたてね君を恋ふれど」
小野小町「新勅撰集」より
秋田實笑魂碑
漫才作家・秋田實をしのぶ碑。
「玉造黒門越瓜ゆかりの地」記念碑
江戸時代玉造の名産だった玉造黒門越(白)瓜の記念碑。
最後に
玉造稲荷神社を初詣した記事にするはずが、歴史情報になってしまいました(笑)。
玉作部の古代時代から、玉造稲荷神社を復興させた豊臣秀吉・秀頼時代、伊勢参りのスタート地点である江戸時代と、歴史ある場所であるのを感じ取ることができました。
実はまだ他にも碑があるのですが掲載しきれていません。
実際に足を運んで玉造稲荷神社を満喫して下さい。日本史好き必見のスポットです。
さらに詳しく
社務所にあった「伊勢参宮本街道行程図」と「伊勢参宮札(身体健固お守り)」を購入。詳しくは下の記事を続けて読んでみて下さい
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